酔っぱらいに絡まれていた女児を救出したことで警察より感謝状を贈呈され、ニュースになったグレート-O-カーン選手。いまもっとも話題のプロレスラーということで、インタビュー記事を再掲します(初公開日:2021年9月25日)
アスリートとしてトップレベルの成績を残してきたグレート-O-カーン。今や知的なプロレスラーとして、日本中に知られる存在となりました。
本日はオーカーン選手の、人生の教科書本を紹介してもらいます。
聞き手は小説家の中村航と、『ナニヨモ』プロデューサーの相良洋一。
(聞き手:中村航、相良洋一)
人生の教科書で学んだ「幸せな生き方の思考法」
中村航(以下:中村):
自分も昔からプロレスが好きなんですけど、最近、気になる選手が。リング上だけでなく、各メディアでオーカーン選手の活躍を目にする機会が増えてきたんですよね。凄いですねえ。
相良洋一(以下:相良):
新日本プロレス秋の最強戦士決定戦・G1 CLIMAXにも出場していて、ノリにノッてますもんね。
あの独自の戦略とかユニークなコメントのインスピレーションをどこからえているか気になりますよね。時に文学的な言葉も発したり。ということでご本人にインタビューをさせてもらう機会をいただいてしまいました。
オーカーン:
うむ。それで何を聞きたいんじゃ。
相良:
オーカーン選手の頭脳を形成する、人生の教科書本があれば、是非、お聞かせ願いたいです。
オーカーン:
うむ。そうじゃのう。人生の教科書というと、『金持ち父さん貧乏父さん』かのう。
古に読んだんじゃが、要約すると、金持ちはどうして金持ちなのか、貧乏人はどうして貧乏人になるのかという話なんだが、これによって生き方、頭の整え方っちゅうのは勉強になったのう。簡単に言えば、この本でよく語られているのは、金持ちは人を動かすと。貧乏人は金のために働くと。
中村:
なるほど。これを読んだオーカーン選手は、人を動かす、「金持ちオーカーン」になられたということですね。このタイトル風に言えば、「金持ちオーカーン貧乏ほにゃらら」、のほにゃららは何になりますでしょうか?
オーカーン:
(……五秒考えて)貧乏五流レスラーじゃ!
この本を読んで、ビジネスの話だけではなく、生き方について2つ、余の心に残っているものがある。そのひとつが、「明日ではなく今のために生きろ」。つまり「今をどうするかっちゅうのを考えろ」ということじゃ。
余はよくマメだとか、戦略家だとか言われているが、そんなのは当然のことだ。後回しにせずに、今やれることをやる。それがSNSだったりするわけじゃ。SNSっていうのはタイミングが重要で、そのタイミングを逃せば情報が旬で無くなってしまう。他の貧乏五流レスラーを見ればわかると思うが、全然更新しない。よく考えろ。無料で世界中に情報を届けられる、こんないいサービスがあるのに、この手段を使わないのはまさに貧乏人の考えだし、今を生きようとしてないんだよ。
中村:
なるほど。ちなみに、こちらは何歳くらいのときに読まれたのですか?
オーカーン:
余は記憶を喪失しているから、何歳くらいだったかは覚えていないな。
中村:
なるほど。今を生きているからですね。
オーカーン:
(……三秒考えて)うむうむ。けれども、かなり昔に読んだことは覚えておる。そうじゃのう。人生の分岐点に立つようなときに読んだ記憶があるな。そのときはまだ余も頭がそんなによくなかったが、これを読んだおかげで、数学や国語のような頭の良さではなく、生き方としての頭の良さを身につけたな。
そして、もうひとつ、「今を生きろ」のほかに好きな言葉がある。「貧乏人はそれを買うお金はないとよく言う。でも金持ちは、それをどうやったら買えるようにするかを考える」だ。貧乏人はすぐにあきらめる。買えないから。言葉を換えれば、できないから。でも金持ちオーカーンは、今の余にはできないかもしれんが、どうやったらそれができるか、筋力なのか、財力なのか、どうすればいいのかを考える。そういう考え方を余は身につけたな。
相良:
そうですね。出来るなら賢く生きたいものです。それでいて自分らしさみたいなのも発揮出来たら良いですけどね。
オーカーン:
余は独自のキャラクター性をよく言われる。もちろんそれは考え抜かれた、アニメから出てきたような存在だが、それだけじゃない。格闘技の技術もそうだし、他の貧乏五流レスラーとは違った知的な戦略……。うむ、SNSだけじゃないぞ。バックステージコメントもだし、立ち居振る舞いもだ。どうやったら自分が成功できるか、真の支配者になれるか、常に考えている。レスラーは頭が悪いから体力だけで勝負だ、そんな馬鹿なレスラーに余はならん。
中村:
なるほど。僕も金持ち作家になろうと思います。
オーカーン:
そうか、余に感化されたか。これが余の支配力じゃ!
相良:
僕もとても刺激を受けましたね。
オーカーン:
頑張れよ。生き方の話だからな。
中村:
プロレスラーは空き家商売ってのは凄くわかって、それ多分、クリエイターも一緒なんですよ。その家、誰も住まないなら、自分が住んじゃおうって考え方をできる人が少ない気がします。人気のマンションの抽選に申し込んでる貧乏五流クリエイターが多い、ってところがあると思います。
オーカーン:
うむうむうむ。余には、やっぱりこの尖った個性がある。この口調は生まれてからずっと続けているものじゃが他にはおらんだろ。言葉を聞いてもそうだし、見た目のシルエットもわかりやすいだろ。
中村:
ああ、なるほど。相良さん、バンドリの戸山香澄もそうですよね。シルエットだけで認識出来るようにって。
相良:
髪型とか、そうでしたよね!
中村:
だけど辮髪(べんぱつ)というのは、プロレスラーとしては、とてもいい個性だと思うんですが、実生活では苦労されることが多いんじゃないですか?
オーカーン:
うむ。そうじゃのう。だがまあメンテナンスが大変なくらいじゃ常に結ってあるから髪の毛にダメージがあるわけだが、それをトリートメントするのがいささか面倒である。それぐらいだな。余にとっては些細な問題だ。
中村:
なるほど。金持ちの考え方です。
相良:
このペースでいくと3時間半くらいかかりそうなので(笑)次に行きましょう。オーカーン選手、人生に影響を及ぼした本、2冊目をご紹介いただけますでしょうか?
オーカーン:
次は、棚橋弘至の『全力で生きる技術』って本じゃ。
中村:
え、えええ!?
相良:
オーカーン選手の人生の教科書本が、敵対する棚橋選手の著書というのは、意外すぎるセレクトに思いますが…。
オーカーン:
うむ。もちろん棚橋ごときの本だから、じっくりは見ていない。しかし、やつがどんなことを書いているのか気になったからな。まあ本を読むのもすきだから、ペラペラって見てやったよ。大抵は意味のないことを語っていたが、一つだけ、いいことを語っていた。それは「幸せのハードルは低くして生きろ」だ。
相良:
どういうことでしょう?
オーカーン:
まあ、余は支配者だから幸せのハードルを下げる必要なんかない。ただ、この考え方自体にはすごく共感するものがあった。というのも、余はプロレスラーになりたくてなったわけではない。しかし、そんな余のこともプロレスが好きなやつからしたら、うらやましく見えて仕方がなかろう。となりの芝生が青々しく見える、人生ってのはそういうもんだ。
余は格闘技の世界でチャンピオンになったわけだが、別に、その力を心の底から望んだわけではない。どちらかといえばアニメ監督であったり、アニメ企業の代表取締役であったりアニメ界の支配者になりたかった。
言ってしまえば、余も隣の芝が青々しく見えるんだよ。嫉妬に上限なんてないんだな。人間の欲に上限なんかねえ。プロレス界を、新日本プロレスを支配したら、もしかしたらプロレスを辞めてしまうかもしれん。違う世界の支配者になりたいと思うのかもしれん。欲に際限はない。
だから他を嫉妬するんではなく、自分が幸せかどうかで勝負する。人生の勝ち組・負け組とかいう言葉があるが、余は支配者となっていろんな金持ちを見てきた。いろんな成功者と話をしてきた。しかし、本当にこいつは幸せだなと思ったやつは一握りもおらんかった。やっぱり金を求めるやつは金に追われてるよ。
だから棚橋の「幸せのハードルは低く持て」というのは共感できるものがあった。金があるから幸せではない、成功してるから幸せではないと。
相良:
誰しもが憧れるチャンピオンであったり、なりたくても簡単にはなれないプロレスラーのオーカーン選手でも満たされないこともあるということですね。
オーカーン:
うむ。満たされないことばかりじゃ。この欲だけは自分でも支配できない。SNSの話になるが自己顕示欲だったり、インスタ映えとか、自分をよく見せようと思っている奴が多い。しかし余は違う。
相良:
オーカーン選手がSNSで活動をUPするのは、どういった理由からなんですか?
オーカーン:
愚民たちに夢を見せてるわけだ。プロレスラーはこんだけ好き勝手に生きられるんだぞというのを示しておるのだ。
相良:
なるほど。それと、オーカーン選手くらいになると地位・名誉・スター性等の魅力に憧れる人たち、とくに女性がたくさん集まってくるのではないでしょうか?
オーカーン:
余は画面の向こうの女にしか興味がないのじゃ。
相良:
そ、それはどういう……。
オーカーン:
わかるだろ?アニメや漫画のキャラクターだよ。Vtuberもそうじゃな。実生活では寄ってくる女が多すぎるから、もう興味は失った。今興味があるのは画面の向こうの女だ。逆にな。
中村:
“逆”なんですね。我々は、寄ってくる女性が少なくて、画面の向こうの女性に恋したりするんですが……。
オーカーン:
それは貧乏人の考え方じゃな。自分の中に幸せのハードルがあって、生きたいように生きる。