小説投稿サイト「ステキブンゲイ」にて公式連載中の『六秒笑女-Six Sec Girl-』著者成海隼人氏と小説家中村航が対談。連載中の作品から前作『尼崎ストロベリー』出版に至るまでの経緯などを語ります。
取材・文 / 岡崎真吾
撮影・協力 / amehal、伊藤泰彰
■中村航と成海隼人
中村:今日は、ステキブンゲイで連載中の『六秒笑女-Six Sec Girl-』の著者 成海隼人さんのことを、皆さんに知っていただきたい、と思うのですが、その作者さんで間違いないですか?
成海:はい、そうです。
中村:本当に作者の成海隼人さんですか?
成海:ほんまです! え? 嘘でしょ? 僕、疑われてます?(笑)
中村:えーっと、本当だったらいいんですけど(笑)。つまり僕ら、互いを何も知らない状態なので、これから深く掘り下げていきましょう、ということですね。よろしくお願いします。
成海:よろしくお願いします(笑)。
■尼崎ストロベリー
中村:成海さんは普段、どういうことをされているのですか?
成海:大阪で落語作家として活動してます。落語イベントのお手伝いをしたり、落語を書いたり、色々なことをしてます。上方落語台本の賞なんかも獲らせて頂きました。
中村:では、収入面も安定されているんですね?
成海:そうですね。僅かな収入なんですが。
中村:僅かというと? ビルが建つくらいの収入ですか?
成海:いやいやいやいや!何も立ちません!どこまでも、まっさらな更地、更地!
中村:ほう。ではその更地のなかで、一作目の小説「尼崎ストロベリー」を書かれたんですね。僕、この本の広がり方に、すごく興味あるんです。まずこの尼崎っていう街は、結構、荒いイメージというか……
成海:中村さん、直球すぎ!もっと、オブラートに包んでください!(笑)荒いというか・・・。人情にあふれたステキな街です。
中村:そうなんですね。ご自身の体験をベースにした作品、ということですよね?
成海:はい。僕は関西で生まれ育って、お笑いが好きで好きで仕方がなかったんですよ。それで大学四年生の頃に、お笑い芸人になりたいなと思って、吉本興業のNSCという芸人養成所があるのですが、そこに行こうとしたんですが、その頃、母親がガンになっちゃったんです。「余命半年」と言われて、治療費も介護も必要ですし、介護などをしなきゃならなくなりまして、芸人という夢を諦めて普通の社会人として就職したんですよ。
その頃、笑ってナチュラルキラー細胞を活性化すればガンが治る、という免疫細胞のことを知りまして。笑うことが好きな親子だったものでしたから、笑いに関する色々な方法を実践してましたら再発を繰り返しながらですが、8年ほど生きまして。
中村:半年と言われていたものが、8年ですか。それは凄いですね。
成海:ええ。それで亡くなる少し前なんですが、「私がいなくなったらお笑いに挑戦したらどう?」って病室で言われたんですよ。多分、自分のせいでお笑いを諦めたって、母親は思ってたみたいで。
それで母親が亡くなって、しばらく経ってから、母親が残した言葉を実行してみようと思って、吉本興業の養成所の門を叩きました。その時は年齢がもう30歳超えてましたので、自分が思い描く芸人にはなれない、と感じて、「お笑い作家コース」に入りました。
中村:ちなみに、養成所の作家コースというのは、新入生で何人くらいいらっしゃったんですか?
成海:作家コースですと150人ぐらいだと思います。芸人コースはもっといましたけど。
中村:まじか!それはすごい数ですね。
成海:吉本の養成所に入って、漫才の書き方とか、コントの書き方とか、お笑いだけでなくて、ドラマや舞台脚本の書き方などを学びました。
その後、吉本のご縁で、月亭方正さんのお仕事のお手伝いをさせて頂くようになったんです。当時、方正さんに「作家として何か武器を持ったほうがいい」というアドバイスを頂いて、僕なりに考えた「武器」が「小説」だったんです。それで、小説の賞レースに応募し始めて。
中村:賞レース!!
成海:え?賞レースじゃないんですか?
中村:一般的には、新人賞ですかね? 賞レースとは言わないですね。
成海:あ、そっか!僕の中では、小説界のM-1グランプリやと思ってたので。当時、賞を獲らないと作家になれないと思い込んでたんです。
中村:でもそれは、その通りと言えばその通りで、小説っていうのは持ち込み文化がないんですよ。漫画は持ち込み文化があるんですけどね。漫画だと2~30ページのネームを持ち込むケースが多くて、それならその場で判断やアドバイスができる。小説だと300ページ読む、っていう作業になっちゃいますから、その場では無理。だから、その代わりに出版社には「新人賞」というのがあって、そこに応募してくださいよ、ってことですね。成海さんもそういう新人賞に応募したんですね?
成海:はい。それで応募を始めて、有難いことに作品によっては、選考で残るんです。最終選考に残ったこともありました。自分は小説の分野で戦えるかもしれない、と思い始めて。でも、なかなか賞は獲れないんですね。選考に残っていっても、最終的に賞を獲らないと「無」やなって本当に思いました。
中村:確かにそうですね。僕も新人賞で落ちた経験があるので、わかります。最終選考まで残っても、一か〇なんですよね。
成海:それで、賞レースを獲れない時期があってモヤモヤしてた時に、方正さんに相談したことがあって。そうしたら「作品が完成してるなら出版してみたら?」って言われたんですよ。漫才の賞レースのM-1グランプリとかも、一位を獲れなかった芸人が売れたりするやろ、って話もして頂いて。
なんだか、僕的に凄く腹落ちしたんです。それで、片っ端から出版社を探してみました。出会ったのが幻冬舎さんで「尼崎ストロベリー」を出版してみようかということになったんです。
中村:自費出版で、つまり、ご自身でいくらか負担してリリースしてもらうということですね?
成海:はい。
中村:自費出版って、いろんなケースがあると思うんです。自分史を書きたいとか、自分の研究を残したい、とか。僕はこの本を、たまたまご縁があって手にしたんですけど、こういうエンターティメントの自費出版本で、こんなに頑張ってるケースがあるんだ、って驚いたんですよね。部数もなかなか出ているようだし、あと「尼崎」という街とコラボなんかを、されてますよね。小説に出てくる商店街だとか、食べ物屋さんとかのフライヤーがあったり。
成海:ガツガツしてますか?
中村:ええ。でもそれ、すごく感心したんです。本を一冊だす、って、凄いことで、お祭りであるべきなんですよ。みんなに届けるために、できることは全部やりたい、って作家だったら、みんな思ってるんじゃないかな。でもここまでやりきれる人はあんまりいないと思うんです。
成海:根本に自分と母親を題材にした作品であったことが強いかもしれないです。できるだけ、たくさんの方に読んでいただきたい想いがありました。あともう一つは、まず無名なので、黙ってたら読んで頂けないだろうなというのがありました。どれだけ面白いものを書いても、届かなかったら「無」だと思いましたので頑張りましたね。基本的なことなんでしょうけど、関西を中心にいろんな書店をめぐって、本を持っていって「よろしくお願いします」というのをひたすらやりました。
中村:偉い!大体、そういうことをできない人が作家を目指したりすると思うんですよ。僕だって、書店に行っても、挨拶して、ニコっとするぐらいが限界。いや、うまく笑えていない気がする。
成海:そうなんですね(笑)。
中村:作家として色々な戦い方があって、成海さんのやり方は素晴らしいと思います。だって著者の方が来てくれたら書店の方も喜んでくれたりするし、熱意も伝わりますし。もちろん作品が面白いことが大前提なんですが。本当に素晴らしいと思いますよ。
成海:ありがとうございます。そういった活動をしているうちに、「尼崎ストロベリー」を応援してくださる方がどんどん増えていきました。例を挙げますと、尼崎に小林由美子さんというカリスマ書店員のおばちゃんがいるんですよ。小林書店という街の本屋を経営しているんですが。その小林さんが「尼崎ストロベリー」のことを「これ感動するよ」と言って、何百冊も売ってくださってたり。
あと小林さん以外にも、「尼崎ストロベリーに出てくる聖地巡りイベント」を企画してくれるフレンズ書店さんという本屋さんが応援してくれたり、店の一番目立つ場所に一年以上の間、山積みで激推ししてくれる未来屋書店さんが応援してくれたり。
中村:地元の応援は強いですよね。
成海:尼崎市の行政も協力してくれて、FMラジオに出演させて頂いたり、特大ポスターを作ってくれて、JR尼崎駅に貼ってくださったり。めっちゃ有難いのが、観光局さんが観光案内所に置いてくれて、「尼崎ストロベリー」が尼崎お土産になってるんです。
中村:小説がお土産!?それは凄いな。なるほど。
出版って、誰かがリスクを取らないと絶対成立しないものですけど、著者がリスクをとって、自費出版をして広がっていくっていうのが、現代風の戦い方ですごく面白いです。昔、自費出版から大ヒットが生まれたこともあったんですけど、これから、それともちょっと違うケースが増えてくるかもしれないですね。