ネジ工場、理容師、飲食店用品店、鋳物工場、そして労働基準監督官にハローワーク職員――「働く人」や働く人を「支える人」を描いた作品を数多く発表している上野歩さんが、新たに生み出したのは新米和菓子職人。発売されたばかりの新刊『お菓子の船』は、製菓学校を卒業し、和菓子の世界に飛び込んだヒロイン・樋口和子(ワコ)の物語です。

男社会の職人の世界で、「祖父が作ってくれたどらやきの味を再現したい」という夢を叶えるためひたむきに努力を続けるワコ。その夢の途中で、ワコが知ることになる亡き祖父の食べさせてくれた味の秘密とは?

口の中いっぱいに、幸せな甘さが広がってくるような本作について、上野さんにお話を伺ってみました。

僕にとって取材は、大変さよりも新しい出会いを与えてくれる知的興味に満ちているのです

――今回の『お菓子の船』について、これから読む方へ、どのようなお話かをお教えいただけますでしょうか。

6歳の時に祖父のどら焼きを食べたワコは、衝撃を受けます。餡子のおいしさもですが、味わっているうちに風景が見えたからです。

目にした風景は「春」と「海」。そして、亡くなった祖父が遺した「水菓子」という言葉。それらを手がかりに、どら焼きを自分で再現することを誓ったワコは和菓子職人になります。また、若き日の祖父について調べていくうちに第二次大戦下、食料の補給船に乗艦していたことを知ります。その船では、羊羹をつくっていたのでした。

――この作品が生まれたきっかけを教えていただけますでしょうか。

企業を取材して記事にする仕事をしています。その取材で、どら焼きのおいしい和菓子屋さんに出会いました。その後、NHKの番組で第二次世界大戦の際に艦内で和菓子やパンを製造する補給艦のことを知りました。この2つから着想したのが『お菓子の船』です。

僕にとって取材は、大変さよりも新しい出会いを与えてくれる知的興味に満ちているのです。

職人の技が生み出すお菓子の世界の奥深さを、一端でも伝えられたらと

――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、なにかエピソードがありましたらお聞かせください。

最初に書き上げたのは、ワコの視点と若かりし日の祖父の姿を並行して描く物語でした。それを担当編集者さんの意見で、祖父のパートをざっくり削りました。これによって、ワコが祖父のどら焼きを追い求めるというテーマがより浮き彫りになったと思います。

また、打ち合わせを重ねる中で、ワコが幼い時にどら焼きを食べて見た風景を、確かに自分はこの目にしたのだと、自らに証明するストーリーであるということも明確になりました。

――どのような方にオススメの作品でしょうか? また、本作の読みどころも教えてください。

今この時、第二次大戦下で“お菓子の船”という戦地の兵士たちに食料を届けていた船があったことに思いをはせていただきたいのです。本編に登場するのは、間宮という実在した補給艦です。間宮が艦内で生産したお菓子は、兵士たちにとって故郷の日常をつかの間でも夢想させ、安らぎを与えてくれるよすがでした。

もうひとつ、和菓子の魅力を届けられたらと思います。職人の技が生み出すお菓子の世界の奥深さを、一端でも伝えられたらと。

特に若い読者にぜひこの本を手に取っていただきたいです。ワコと、祖父の若き日を描いた青春小説でもあるので。

その引っ掛かりを得るために、常にさまざまな情報を手さぐりしています

――小説を書くうえで、いちばん大切にされていることをお教えください。

この題材で小説を書いてみたいと感じる引っ掛かりです。その引っ掛かりを得るために、常にさまざまな情報を手さぐりしています。

『就職先はネジ屋です』を書こうと思ったきっかけは、やはりなにげなく眺めていたテレビでした。番組名も覚えていないのですが、外しやすいネジ、絶対に外れないネジ、橋脚を大地にネジ留めする巨大なボルトなどが紹介されていました。あとになってから、「面白そうだぞ!」と感じ、ネジ工場への取材をスタートさせたのです。

現在は、海洋散骨式に参列した経験からさまざまな葬るかたちを題材とした小説に着手しています。

――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

『お菓子の船』はワコの和菓子職人としての成長物語です。

そして、彼女がどら焼きの味を求める中で知る太平洋戦争の秘話でもあります。間宮が戦地に届けるお菓子は、かけがえのない日常の象徴です。皆さんにとっての思い出深い味はなんでしょう? そこには、きっと忘れがたい生活の風景があるはずです。

Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?

掛け布団とマットレスを新しくしたことです。掛け布団は軽くてあったかいし、寝返りがしやすいマットレスは、ぐっすり快眠できます。

Q:ご自身は、どんな小説家だと思われますか?

こつこつ取材して、「お仕事小説」を書く作家、そんな感じだと思います。しかし、お仕事小説というジャンルを超えて、エンターテインメント小説そのものを書くことを目指しています。そして、『お菓子の船』でそれができたように感じています。

Q:おすすめの本を教えてください!

毎月、湘南にある妻の実家の庭掃除をするために数日滞在します。草むしりをし、落ち葉かきをし、芝刈りをします。その合間に読んだ本を紹介します。

■『「俳優」の肩ごしに』山﨑努(日経BP 日本経済新聞出版)

『天国と地獄』の研修医、『必殺仕置人』の念仏の鉄、『早春スケッチブック』の西洋館に住む男、『タンポポ』のカウボーイハットの運転手――長年推し俳優の回想記です。

■『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬(早川書房)

雪と氷のにおいのする戦場が眼前に現れました。まさに「今この時」に読む本であり、わくわくするエンターテインメントです。

■『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』鈴木博之(文藝春秋、ほか)

新宿御苑の中心にある芝生広場。そこには、ヴェルサイユ宮殿のような西洋宮殿が建てられる予定だった――土地の持つ文化や歴史がひもとかれます。
※画像はちくま学芸文庫(筑摩書房)版


上野歩さん最新作『お菓子の船』

『お菓子の船』(上野歩) 講談社
 発売:2023年02月22日 価格:1,925円(税込)

著者プロフィール

上野歩(ウエノ・アユム)

1962年、東京都生まれ。1994年に『恋人といっしょになるでしょう』で「第7回小説すばる新人賞」を受賞してデビュー。その他の著書に『わたし、型屋の社長になります』『墨田区吾嬬町発ブラックホール行き』『探偵太宰治』『キリの理容室』『就職先はネジ屋です』『市役所なのにココまでするの!?』『鋳物屋なんでもつくれます』『労働Gメンが来る!』『天職にします!』、近著に『あなたの職場に斬り込みます!』『料理道具屋にようこそ』などがある。

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