1989年の大学在学中に『週刊プロレス』の記者としてデビューし、活字プロレス黄金時代を颯爽と駆け抜けた小島和宏さん。
フリー転向後はマルチな才能を発揮し、現在は「ももいろクローバーZ」の公式記者としても活躍する小島さんが、プロレス記者時代に深く関わったプロレス団体「W☆ING」の栄枯盛衰を描いた『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』(双葉社)を2021年8月8日に刊行しました。
今回のインタビューでは本作が上梓されるまでの経緯や、団体取材時の舞台裏、そしてW☆INGへの熱い思いをたっぷり語っていただきました。
(聞き手:相良洋一)
W☆INGの儚い一生を現場目線で綴った一冊
――まず今作の内容について教えてください。
小島和宏(以下:小島):
「W☆ING」というプロレス団体が1991年に旗揚げしたのですが、そんな知る人ぞ知るコアな存在の旗揚げから崩壊までの2年7か月を綴ったディープな一冊です。
ある日ぽんと誕生して、流れ星のようにキラキラ輝きながら一瞬で消えていくという儚い命だったんですけれど、当時週刊プロレスで担当記者をやっていた僕は、その短くて濃い歴史の一部始終をすべて現場で見ていました。
W☆INGの取材は仕事ではあったのですが、僕は大学を卒業したばかりで、もはや仕事の枠を超えて青春そのものでしたね。ただただ面白いから追いかけ続けるという感じで。
――本作でも、仕事としてはFMWを追いかけ、個人的にはW☆INGに熱狂していたということが書かれていましたね。
小島:
はい。当時は「FMW」と「全日本女子プロレス」も担当していたのですが、「W☆ING」は完全に別次元でしたね。おもしれーって(笑)。
この本を書くときに編集サイドから、なるべく僕の個人的な目線で書いてほしいという要望がありました。
あと1991年(平成3年)って、文化はまだ昭和なんです。携帯電話は誰も持っていないし、SNSはもちろん、インターネットも普及していない。だけど「平成」という言葉とともに新しいものがどんどん動き出していった時代。
そんな混沌とした平成初期の空気感を本作でうまく出せたらいいなと。ただ単にプロレスの昔話ではなく、時代背景も含めて、プロレスをあまり知らない人たちでも「平成の最初の頃ってこんな感じだったよね」「まだカセットテープ使ってたよね」みたいなエピソードをなるべく挟み込んで、当時の雰囲気が感じ取れるよう心掛けました。
――ホラードラマのキャラクター「クリプト・キーパー」を模した覆面レスラーのマスクが本物と全然違うエピソードとかすごく面白かったです。今のようにネットの時代であればその違いが一瞬でバレてしまいますが、押し切っちゃった。違ったまま「これがクリプト・キーパーだ」と団体側が言い切っちゃうのが当時の感じですよね。
小島:
誤魔化しが利く時代でしたね。この本に限らず僕が大事にしているのが「現場感」です。
特にアイドルの仕事はそうで、現場に行ってない人間は信用されないんですよ。いくらわかったようなことを書いても、あいつコンサート来てないじゃん、関係者席で見たことないじゃんという人の文章は信用度がガクッと落ちます。
僕は今もなるべく現場に足を運ぶようにしていますが、それは間違いなくW☆ING取材時の経験則ですよね。クリプト・キーパーのエピソードにしても、現場に行ってないとわからないこと。仕事を始めた時に週プロの上司からも言われました。現場に行かなくても書けるようなことは書くなと。何のために君に出張費を出して遠くまで行かせてるかわかる?って。
――まさに週刊誌を経験されているからこそのイズムですね。
小島:
そうですね。完全に週刊誌をやってきたイズムと思想で生きています、未だに。
当時はW☆INGだけでなく、週に3日も4日も出張に出るような生活でしたから。W☆INGをやらなくても十分な仕事量だったのですが、とにかく担当したかったし、どちらにしてもFMWや全女を下りるなんてことは人員的にありえなかった。
ひょっとしたら人生で一番忙しかった時期かもしれません。週に30ページくらい平気で作ってましたね。今は無理です、働き過ぎです。
面白そうだけど売れなさそう……版元のジレンマ
――本作を書くことになったきっかけはなんだったんですか?
小島:
たったの2年7か月でW☆INGという団体は終わってしまいます。
でも、僕の中で「W☆INGはこれが最終回」という終わりがなかった。最後の興行が終わってしばらくしてから、実は潰れました、あれが最後でしたという発表が後であったんです。
最終興行という前提で最後の大会が開催されて、その記事を書いていたとしたらピタッと終わっていたんでしょうけど、それがなかったので、ずーっと心の中でモヤモヤが残っていて……。
それから10年後の2001年、W☆ING旗揚げ10周年記念本を作ろうと思って動き出しました。まとめるなら今だと。企画書をいろんな版元に持って行ったのですが誰も相手にしてくれませんでした。こんなもの売れるわけがないって(笑)。
それからさらに10年経って、20周年のときも同じアクションを起こしたのですが全く反応がありませんでしたね。
でも今から5年くらい前、UWFの検証本(注:柳澤健『1984年のUWF』など多数の書籍が出版された)がすごく流行ってから若干風向きが変わってきました。僕が企画書を見せてきた人たちからその頃には編集担当も代替わりしていたから、まるではじめてこの企画書を出しますみたいな顔で持って行きましたよ(笑)。
とても面白がってくれましたが、たぶん売れないからうちでは出せない、という回答が一番多かったです。プロレスファンの編集者たちは、絶対に面白いし、めちゃくちゃ読みたいので「ぜひ他社をくどいてください」というヘンな断り方をされました。
――その編集の方々の悩ましい気持ち、よくわかります。
小島:
半分あきらめていたんですが、2019年に僕が書いた全女の東京ドーム本『憧夢超女大戦 25年目の真実』が意外と売れたんですよ。
発売当日に増刷が決まったり、イベントを開けば人がいっぱい来てくれたり。その時、プロレス界の真ん中じゃなかったものにもまだファンが残っていて、こういうのを求めてる人がたくさんいるんだというのがはっきりとわかったんです。
その流れで今度は「FMWで(書籍を)やりませんか」というオファーがある出版社の方から入ってきました。
僕はそれを受ける条件として、「もしFMW本がそこそこ売れたら、次はW☆ING本をやらせてください」とお願いし、承諾していただきました。ただ、残念なことにコロナの影響でFMWの取材が滞ってしまって……。
そんな時です、この本の双葉社の手塚氏から「W☆ING本をやりたい」とオファーがあったのは。W☆INGは2021年8月7日で30周年なので、それに間に合わせたいということでした。去年の夏の話ですね。
その後、FMW本の編集者に事情と自分の気持ち説明をしたら「FMW本をちゃんと出してくれるならいいですよ」と承諾してもらって。その人は手塚氏のことも知っていて、「好きな人がやったほうがいいですよ」とまで言ってくれました。だからオファーの順番と逆になってしまいますが、FMW本はたぶん来年出します。大仁田厚がカリスマになるまでの黎明期を描いたもので、W☆INGの旗揚げともリンクしてくるので今作を読んだ後のほうがもっと面白くなるはずです、間違いなく。
――コロナの世の中になる前だったと思うんですが手塚氏とキラー・カーンさんのお店で会食したときに「色々とプロレスの本を作ってきましたけど、今後、作りたいプロレス本はあるんですか?」とたずねたら「W☆ING本をやりたい!」とその時も熱っぽく語っていました。私も「絶対読みたい!」と反射的に言ったのを覚えています。W☆ING本を作りたいなんていう編集はそういないと思っていたので、その会話だけは鮮明に覚えています。
小島:
後から聞いたんですが、僕に依頼してくれた時点では会社の企画会議に通ってなかったようです。ちゃんと企画が通ったのは、その1か月後くらいでしたね。彼の情熱で押し切ってくれたんだと思います。
あと、今まで書籍を出すときは本のタイトルや表紙のイメージも自分で考えていましたが、今回は手塚氏が考えてくれました。原稿を第4章まで渡した段階で、「『流れ星伝説 星屑たちの……』でどうですか?」って。
表紙デザインもほぼ送られてきたままですね。帯の裏に大宝氏と畑山氏の名前を入れてもらい、マニア層にも刺さるようにしてもらったくらいで。編集がW☆INGを理解してくれている人で本当によかったです。そうじゃなきゃ無理でした。今回は作ってる最中に、「そうじゃない」というのが何一つ起きなかったです。
――自分も週刊誌で働いていた頃から手塚氏とは面識あるのですが、あの人は当時の週プロの影響をとても受けてらっしゃいますよね。そんな私も週刊プロレスがなかったらこの業界に入ってなかった一人です。
小島:
そういう方、非常に多いですね。今一緒に仕事している人の中にも、週プロのバイトの面接に行って落とされましたとか。
元週プロ記者の市瀬英俊さんが書かれた四天王プロレス本『夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」』の発売が、自分の著書『ぼくの週プロ青春記』の文庫化のタイミングと重なったので、一緒にイベントをやったんですよ。
その時に元週プロ編集長のターザン山本さんが乱入してきて。それを仕込んだのが『夜の~』担当の手塚氏だったそうです。その時に、「今は当時の週プロの記者に本を書いてもらうのが一番の楽しみなので、いつか機会があったらお願いします」と言われました。
それ以来、僕の全女本のイベントにも遊びに来てくれたりと関係性は続いていて、去年急にW☆ING本の話を切り出された感じです。お互いに出したい、創りたいが心の引き出しにあって、この30周年というタイミングでがつんとぶつかって一つになりました。
――当時のライターさんや編集の方の名前をこんなにいつまでもみんなが覚えている雑誌は週プロしかないと思います。異常な雑誌ですね。
小島:
完全に署名原稿だったのもあるし、こんなこと許されていいのかってくらいCSとはいえ毎週テレビに出てましたからね。表に出て動く感じがあった。それもあって、いまだにこんなに覚えていてくださる方がいるというのは有難い限りです。
発売:2021年08月08日 価格:1,870円(税込)
略歴 小島和宏(こじま・かずひろ)
1968年、茨城県出身。1989年、大学在学中に『週刊プロレス』(ベースボールマガジン社)の記者としてデビュー。大仁田厚のFMW、ザ・グレート・サスケのみちのくプロレス、団体対抗戦全盛期の全日本女子プロレスなどを担当。特にW☆INGは旗揚げ前から同僚の鈴木健記者と共に担当し、多くの巡業に同行して取材。団体の隆盛から崩壊までを誌面でリポートし続けた。フリー転向後はお笑い、特撮、サブカルチャーなど幅広く取材・執筆を重ね、現在はももいろクローバーZの公式記者として活躍。著書は『ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実』『ゴールデン☆スター飯伏幸太 最強編』『ももクロ×プロレス』『憧夢超女大戦 25年目の真実』など多数。
聞き手 略歴: 相良洋一(さがら・よういち)
プロデューサー、編集者。主婦と生活社『週刊女性』でニュースチーフを担う一方、長門裕之の『待ってくれ、洋子』や林下清志『ビッグダディの流儀』等のベストセラー書籍を手掛ける。2013年より『月刊ブシロード』を創刊&編集長を経験。その後も数々のメディアミックスプロジェクトの立ち上げ、コンテンツプロデュースを行う。ステキコンテンツ代表・中村航とは『バンドリ!』の時からの関係。小学生のころから『週刊プロレス』『週刊ファイト』を読んでいて、じつは『Lady’sゴング』編集部で編集者修業していたことも。