元『週刊プロレス』小島和宏さんの最新作『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』(双葉社)インタビューの後編をお届けします。

(聞き手:相良洋一)

『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』前編からの続き


コロナ禍で取材が大苦戦も執念で取り組んだ4か月

――本作の取材や執筆はどのように進んでいきましたか?

小島和宏(以下:小島):

W☆ING本にしてもコロナの影響は変わらず、最初は取材がなかなか進みませんでした。結局去年は元レスラーの松永光弘氏にインタビューしたくらいで、実質的に動き出したのは今年の2月くらいから。

一時的にコロナが落ち着いた隙を狙い、まずはW☆ING元社長・茨城清志氏に話を聞きに行きました。さらに現役レスラーの斎藤彰俊氏、リングアナをしていた大宝拓治氏、レフェリーをしていた畑山和寛氏など、本作の重要人物に取材をしていき、実質2021年2月から6月の4か月で作った本です。

中でも書きましたが、元リングアナの大宝氏が業界人と完全に連絡を絶っていたんです。さっき話したFMW本が停滞していたのも、結局大宝氏がつかまらなかったというのが大きな理由でした。

彼に会えなかったら、たぶん本の内容はこうはなってなかったでしょうね。

――最初はどんなイメージだったんですか?

小島:

もっと薄くて、頭の中では224ページくらいの本をイメージしていました。僕が見てきたW☆INGの歴史が一本の線であって、そこにレスラーの証言が乗っかってく感じかなと。 

まずは歴史の背骨を語ってもらうために茨城社長に取材をしました。

2日で10時間くらい話したんですが、肝心な部分を覚えてなかったり、急に社長が頭を抱えてしまったり(笑)。これでは穴ぼこだらけなので、このタイミングで元レフェリーの畑山氏に電話したんです。

手伝ってほしいと言ったら、気持ちよく引き受けてくれました。ただ彼もW☆INGの初期については関わってないからわからないと言うので「大宝さんがいたらなあ」と話したら、実は数年前、地元のスーパー銭湯で偶然会って電話番号交換しましたって。今は関係者からの電話は出ないというので、畑山氏から連絡をとってもらいました。

その数日後、大宝氏が僕に電話をくれたんです。するともう、昔話に花が咲いて、資料もないのに2年7か月の歴史を全部喋る勢いで。これで穴がすべて埋まると思いました。

――本書でも大宝氏の記憶はすごかったですね。

小島:

僕らはW☆ING崩壊後もプロレスに関わっており、記憶が上書きされてわからなくなっているところがあるんですけど、彼はあそこで1回終わっている。

だから記憶がめっちゃ鮮明なんです。本当はもっといろんなレスラーのコメントを載せたりとか考えていたんですが、これでいけると思いました。

茨城社長・大宝リングアナ・畑山レフェリーのフロント3人の証言で1冊書けると。ただ、斎藤彰俊、松永光弘、金村ゆきひろの歴代エースのコメントはどうしてもほしかったので、レスラーはその3人に絞りました。

ミスター・ポーゴさんやブッカーのビクター・キニョネスなど亡くなった方も多いし、業界から離れてしまった人もたくさんいる。全員揃わないんだったら逆にこれでいいかと。これ以上登場人物が増えると反論合戦になるし、30年も時が経つとみんな記憶もぼんやりするし。これがギリギリ、これが正解だったと思います。

取材時の一枚。左上から大宝氏、茨城氏、小島さん、畑山氏、中央が金村氏。

――この本をどんな人に読んでもらいたいですか? 基本的に題材がW☆INGですから、プロレスがかなり好きな人向けではあると思いますが。

小島:

UWF本のような暴露系みたいなのを期待された方もいるかと思いますが、W☆INGはビッグマネーが動いたわけでもなければ、大きな権利が動いたわけでもなく、暴露もへったくれもないんです。

意識したわけではないですが、そういう要素は結果的に少ないですね。

前書きには、W☆INGにはお墓がないからみんな成仏できないんだと書きました。だから、みんなが集まって、こんなことあったね、あんなことあったねという記念碑を作りたかったというのはあります。歴史の最初から最後まで全部入っていて、裏話もあって。

あと、これは僕がどうしてもとお願いしたのですが、本の巻末に全試合の結果を入れてもらいました。そうすることでW☆INGに参加した全レスラーの名前が刻まれる。

だから、本当にお墓です。墓碑。関わった人が懐かしめる場所であり、知らない人もこんなものがあったんだって集まれる場所ですね。

驚いたのは、この本の発売を待ってた人がいたこと

――約400ページと、ボリュームがすごいですね。でもスッと読めました。

小島:

今までこの企画が蹴られてきた理由のひとつには、たった2年7か月でつぶれた団体が1冊の本になるのかという疑念があったと思います。

それでも結果的に400ページ弱の本が出来上がりました。

それは手塚氏に、ページ数を気にせずどんどん書いてくださいと言われていたから。一度手塚氏に500ページ近くいっちゃうと言われて、それはさすがに多すぎだろうとなったんですが、それは手塚氏の数え間違えでした(笑)。

400ページを超えると値段もあげなくちゃいけなくなるし、これがぎりぎりの線だったかなと。

――発売して、手ごたえはどうでしたか?

小島:

本が出た瞬間の達成感はすごかったです。ようやく形になったと。こんなこと言っちゃいけないけど、売れる売れないはあまり考えていませんでした。そんなに売れるものでもないと思っていたし。でも、これがなんと売れたんですよ。

発売に合わせて書泉ブックタワーと書泉グランデで「W☆INGフェア」をやることになったんです。

僕と金村氏でサイン本を60冊くらい書いていたので、発売日に様子を見に行きました。店員さんに「あの本の著者で、写真撮りにきたんですけど」と言ったら、朝からめちゃめちゃ売れてもう4冊しかないと。

さらに「金村選手とのサイン本も追加させてもらいますし、松永選手と小島さん連名のサイン本を作ってもらえたら100冊置きます」と言われて、急いで手塚氏に連絡しました。Amazonも楽天ブックスも空っぽになってしまって、発売日から2週間近く買えなかったらしくて。

先日もイベントがあったので、さらに100冊以上入れてもらいました。

こんなにW☆INGの本を待ち望んでいた人がいたんだって驚きましたね。それと同時に、この企画にのってくれなかった版元に「見たか!」と(笑)。

書泉ブックタワーで行われたイベントの様子。小島さん(左)と元レスラーの金村氏(右)。

――素晴らしいですね! 小島さんは、原稿を書く時に大切にされていることはありますか?

小島:

さきほど「スッと読めた」と言っていただきましたが、やっぱり読みやすさ、わかりやすさは大事にしています。週プロ時代は若くてイキってたので、わざと難しい言葉をつっこむとか、どうやってインパクトを出すかとか考えてたので、それがやはり書籍を書くようになって、それじゃいけないんだと気付きました。

とくに今回のようなわかりにくいテーマのときは気を付けなきゃと。万人にわかりやすいものを。スッと読めました、アッという間に読めましたと言われると非常にうれしいです。

たとえば本作も、最初は章と章の間にロッシー小川とかのコラムをブレイク的に入れようと思っていたんです。でも手塚氏は、「そんな読みやすいものを求めてないですよ」と。週プロ青春記みたいなゴツゴツしたのがいいと。

あの本は僕が最初に丸っと1冊書いたもので、書籍の作り方も知らずに書いたから、めちゃくちゃ読みにくいと思う。でもああいうのがいいと。誰がW☆INGに読みやすさを求めてるんですかって(笑)。

それはそれですごく救われたんですが、とはいえ物書きとしてはどうしても読みやすくしたくなりますよ。最終的には読みやすさにはこだわりました。

――読みやすいけどエピソードは生なので心に残りますよね。仮にスピーディーに読み終わっても物足りなさがないんです。

小島:

ありがとうございます。それが理想ですね。何日もかけてというより、1日で読み切ってもらうのが僕の中の理想です。雑誌から書籍に軸足を移していく中で叩き込まれたことですね。

週プロ時代の現場主義はアイドルを書く時も一緒

――ご自身どんな書き手だと思いますか?

小島:

最初に頭の中で構成を考えてから書き始めます。だから、書き出すまでは長いんですが、書き出したらめっちゃ早いです。

毎年、ももクロのライブレポート集を出していて、ライブはすでに見終わっているので書き始めることはできるのですが、それをそのまま書き綴るのではなく、構成として入口と出口をちゃんとしたいというのがこだわりです。

今年のテーマに沿ったエピソードをはじめにもってきて、出口にもふさわしいライブレポートを置きたいとか。その構成をまとめるので時間がかかることがあります。1週間で1文字も書けないけど、残り1週間で200ページ書いちゃうみたいなスタイルですね。

――プロレスはカードの違い、団体の違いがありますけど、アイドルのコンサートって、メンバーは一緒で、曲もある程度は同じですよね。もちろん細かい違いを書くのがレポートだと思いますが、大変だなあと思ってました。

小島:

ひとつ助かったのが、マネージャーの川上アキラ氏がこれまた週プロ読者だったということですね。川上氏には、プロレスの試合後に選手のコメントをとるみたいに、ももクロもそうしてくれと言われました。

ライブが終わったらすぐステージ袖に来てくださいと。

「あそこが昨日と違うけど意味はあったの?」「アクシデントはなかった?」など、気になったことをその場で聞く感じで。そのためにはライブをしっかり見ておかないといけないんです。

本人たちからも「あそこどうでした?」と聞かれることもありますし。今はそれが当たり前になっていますが、それも週プロのやり方そのもの。

その場で生まれた話だから、メンバーと僕だけしかしらないこともあって、原稿を読んではじめて川上氏が知るなんてことも多々ありました。毎回独自のネタをひろえるという意味では、僕だけのものが作りやすくなっています。これも結局のところはプロレスのやり方と同じですね。

――雑誌ではじめて小島さんのアイドルレポートを拝見したときびっくりしました。「あの週プロの小島さんが?」って。

小島:

BUBKAの編集から、AKB48の歴史をまとめる本を一緒にやってくれないかって誘われたのがきっかけです。最初は断ったんですよ、ハマっちゃうのがわかってたから(笑)。

でもどうしてもということで取材をはじめたら、案の定ハマってしまった。

その後、ももクロのライブをはじめてみた時に衝動を覚えて、BUBKAの編集にレポートを書きたいって僕から言ったんです。その時の条件も、週プロみたいな感じで書いてくれって。

“あの週プロ記者が書くももクロ”みたいな打ち出し方でいくということになりました。そしたらめちゃくちゃ反響がでかくて。あれから10年。もう週プロで過ごした時間を超えていますね。

――今はももクロといえば小島さん、アイドルといえば小島さんですよね。

小島:

逆にもう週プロ出身と知らない人たちも多くて「なんでプロレスの本を書いてるんですか?」って言われることもあります。

――では最後に「今の時代にW☆ING的なものが足りてない」と思うところはありますか? そもそもW☆INGとは何だったのでしょうか?

小島:

コンプライアンスがこれだけうるさくなると、W☆ING的なものは世の中から淘汰されてしまうのはしょうがないですよね。

でも、W☆INGの根本の発想ってなんだったのかって考えていくと、「こんなのできないよ」というのがないのがW☆INGだったような気がします。

今はリスクが多いし、文句を言われるからやらないでおこうみたいな時代。

でもW☆INGってそういうのがなかったんですよ。お金がない。だから1円もかけずにバルコニーから飛び降りる。ポーゴが松永を火だるまにする。後楽園ホールの照明を消して試合をする。

これらにはなんの舞台装置もいらないし、お金もかからない。こういう逆転の発想というか、一か八か的な感じがW☆INGの面白さだったと思います。

毎回毎回お客さんの想像を超えてくるんです。こんなことやっちゃうの?って。

令和の時代、コンプライアンスでガチガチになって、こんなことできるはずがないというのをやるという“W☆ING魂”は、どこかに持ち続けていたいと思いますし、いろんな人から「こんなもの、売れない」と嘲笑された本をこうやって出版したことがもっとも『W☆ING的』だったんじゃないですかね。

――ありがとうございました。


『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』(小島和宏) 双葉社
 発売:2021年08月08日 価格:1,870円(税込)

略歴 小島和宏(こじま・かずひろ)

1968年、茨城県出身。1989年、大学在学中に『週刊プロレス』(ベースボールマガジン社)の記者としてデビュー。大仁田厚のFMW、ザ・グレート・サスケのみちのくプロレス、団体対抗戦全盛期の全日本女子プロレスなどを担当。特にW☆INGは旗揚げ前から同僚の鈴木健記者と共に担当し、多くの巡業に同行して取材。団体の隆盛から崩壊までを誌面でリポートし続けた。フリー転向後はお笑い、特撮、サブカルチャーなど幅広く取材・執筆を重ね、現在はももいろクローバーZの公式記者として活躍。著書は『ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実』『ゴールデン☆スター飯伏幸太 最強編』『ももクロ×プロレス』『憧夢超女大戦 25年目の真実』など多数。

聞き手 略歴: 相良洋一(さがら・よういち)

プロデューサー、編集者。主婦と生活社『週刊女性』でニュースチーフを担う一方、長門裕之の『待ってくれ、洋子』や林下清志『ビッグダディの流儀』等のベストセラー書籍を手掛ける。2013年より『月刊ブシロード』を創刊&編集長を経験。その後も数々のメディアミックスプロジェクトの立ち上げ、コンテンツプロデュースを行う。ステキコンテンツ代表・中村航とは『バンドリ!』の時からの関係。小学生のころから『週刊プロレス』『週刊ファイト』を読んでいて、じつは『Lady’sゴング』編集部で編集者修業していたことも。

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