豪邸に二人だけで住む桐子と百合子の老姉妹。姉妹ではあっても外見や性格は正反対といえるほどに違い、送ってきた人生も大きく異なっていたが、二人きりの暮らしを送り、最期は屋敷の中でほぼ同時に亡くなっていた――。
ミステリアスな導入からはじまる菰野江名さんの新作『さいわい住むと人のいう』は、日本の戦後史に重なる歳月を生きた二人の姉妹を主人公としたヒューマンドラマです。老姉妹の死から章ごとに時間を遡り、背中合わせのようでありながら、それぞれが同じように幸せを求め、幸せにたどりつけると信じて送ってきた二人の人生が描かれています。あたかも、姉が懸命に働いて手に入れ二人で住むようになった屋敷をその象徴とするかのように……。
昨年、デビュー作『つぎはぐ、さんかく』で身を寄せ合って生きる三兄弟の「これから」を描き、発売されたばかりの本作では二人の女性の「これまで」を壮大なスケールで描いてみせた菰野さんに、さっそくお話を伺ってみました。
「幸せ」という誰もが漠然と希求しているものをいろんな角度から見つめ直せる物語になっていればと思います
――今回の『さいわい住むと人のいう』について、これから読む方へ、どのような作品かをお教えいただけますでしょうか。
見た目も中身も正反対の老姉妹が、とある町の豪邸に二人で暮らしています。が、第一章の語り手が彼女たちと出会った二週間後、老姉妹は豪邸の中で二人ほぼ同時に亡くなってしまいました──というところから物語は始まります。章は20年ごとに時代をさかのぼり、姉妹がなぜ豪邸で二人暮らしをしていたのかを解き明かしながら、彼女たちが追い求めた幸福探しの道筋を辿っていきます。「幸せ」という誰もが漠然と希求しているものをいろんな角度から見つめ直せる物語になっていればと思います。
――この作品が生まれたのはどんなきっかけだったのでしょうか。
外見も性格も異なるおばあさんたちが姉妹だったら、はたから見て面白そうだなという思い付きから物語が膨らみました。彼女たちが現代で80歳ほどだったら、20歳の時は60年代になる……戦後の高度経済成長期だ。では、その20年後の80年代はどんな時代だっただろうか、というように、日本の社会史をベースにした途端、各時代を生きる姉妹の姿が生き生きと想像できました。
女性はもちろんのこと、そのパートナーや家族となる男性にも、女性に対する想像力の着火剤として読んでもらえたら
――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、なにかエピソードがありましたらお聞かせください。
1964年の章を書いてから、2024年、2004年……と遡って構成していったのですが、第5章の2024年に戻った時に、はじめ1964年の章を書いていた時に想定していた姉妹の幸福観と、80年分書いた後の幸福観では齟齬があることに気が付きました。何度も何度も時代を行きつ戻りつしては姉妹の心情をたぐりよせて考える作業が苦労しました。
――本作は、特にどのような方にオススメの作品でしょうか? 読みどころなども含めて教えてください。
異なる生き方の女性二人が主人公ですので、女性はもちろんのこと、そのパートナーや家族となる男性にも、女性に対する想像力の着火剤として読んでもらえたら嬉しいです。ざっくりと「幸せとは?」と問いかけているように見えるかもしれませんが、深く思考するというよりも、百合子が日常的に行う細やかな家事や料理に親しみを感じ、桐子が仕事と恋愛を上手く回しているようで意外とチョロいのでは? と思う隙などを見つけながら読んでもらうのも楽しいと思います。その中で、彼女たちの生きざまがはっと読者の胸を突く瞬間があればと願います。
桐子の悩みや百合子のささやかな喜びなんかは、今とそう変わらない部分もある気がします
――小説を書くうえで、ご自身にとっていちばん大切にしていることや拘っていることをお教えください。
登場人物たちについて、どれくらい立体感をもって自分に引き寄せられるかがキモだと思っています。人物の輪郭があやふやだと、勝手に動き出すということがないので、一から自分で考えないといけないので……。
あとは、おいしい甘味とコーヒーが肝要です。執筆中は飲み食いしませんが、おいしいものから着想を得ることがよくあります。ただの食いしん坊です。
――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。
令和世代とか、SNS時代とか言われますが、桐子の悩みや百合子のささやかな喜びなんかは、今とそう変わらない部分もある気がします。二人の人生を覗き見ることで、どうか時代の固定観念に縛られず、のびのびとご自身の幸せを見つけてもらいたいと思います。
Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?
娘のトイトレが進んだことでしょうか……所帯じみていてすみません。少し前は買い物券1000円分だとかチョコバット30本だとかくじで当てたりしたのですが、チョコバット30本はあまり嬉しくなかったです。
Q:ご自身はどんな小説家だと思われますか?
まだひよっこなので、これから読者の方と一緒に小説家としての自分を形作っていきたいと思います。小説は内に向き合う孤独な作業ですが、私は兼業作家でもあるので、小説を書くほかはややマイナーな仕事をしています。そのあたりから味が出るといいのですが……どうでしょう……。
Q:おすすめの本を教えてください!
角田光代さん『対岸の彼女』……言わずと知れた直木賞受賞作ですが、大学時代に読み、脳が揺れるような衝撃と感動を得ました。淡々と、しかし細やかに言語化された若い登場人物の感情に心揺さぶられます。いつかこのような小説が書きたい、と思い続けています。
江國香織さん『抱擁、あるいはライスには塩を』……もう何度読み返したかしれない大好きな小説です。やや風変わりな一族にまったく親近感は得られないのに、彼らと親しくなりたいとなぜか思う不思議な魅力があります。
沢木耕太郎さん『深夜特急』……バックパッカーの永遠のバイブルでしょうか(バックパッカーの経験はありませんが)。ネットとキャッシュレスの普及した現代とは全く時代が異なるのに、だからこそ、今では経験のできない沢木さんの手探りの旅と何度も繰り返される自己を見つめ直す思索にときめきを感じます。魅力的な海外の国々にも心惹かれます。
■『対岸の彼女』角田光代(文藝春秋)
■『抱擁、あるいはライスには塩を』江國香織(集英社)
■『深夜特急』沢木耕太郎(新潮社)
菰野江名さん最新作『さいわい住むと人のいう』
発売:2024年09月11日 価格:1,870円(税込)
著者プロフィール
菰野江名(コモノ・エナ)
1993年、三重県出身。2022年に「つぎはぐ△」で「第11回ポプラ社小説新人賞」を受賞。翌2023年に改題のうえ『つぎはぐ、さんかく』でデビュー。