「ナニヨモ」の読者の多くは日本語を母国語として、日本語で読み書きをすることを当たり前としているのではないでしょうか。だから、実は日本語は世界の中でも「最も難しい言語のひとつ」とされていることは、いまひとつピンとこないかもしれません。

表記だけでも漢字と平仮名、カタカナがあり、それらの適切な使い分けがある。同じ漢字に違う読み方が多数存在する。言葉自体が持つ意味があるうえに、言葉の組み合わせで意味が変わってくる(場合によっては正反対にも!)。表現の曖昧さにも意味がある。敬語の仕組みは複雑で、それも立場によって使うべき言葉が変化する……細かく挙げていけば、日本人ですら正しい日本語を身につけているのか疑問に感じるほど、日本語は習得するのが困難な言葉なのです。

今回お話を伺ったマーニーさんは、思わぬ形でそんな日本語と出会い、その言葉に魅力を感じて学び、それを教える立場になったばかりか、その日本語で「小説を書く」ことに挑み、成し遂げている作家さんです。
発売されたばかりの、3作目となる新刊『物理学者の心』についてのお話の裏からは、やっかいだけど愛すべきもの、そんなマーニーさんの「日本語」への想いが伝わってくるようです。

この記事を読んで、「それは僕だ!」と思う方はいらっしゃるでしょうか。心からありがとうございます

――今回の『物理学者の心』について、これから読む方へ、どのような作品かをお教えいただけますでしょうか。

『物理学者の心』は、自らを危険視し、人をいっさい寄せ付けない物理学者の松崎仁と、冷静な技巧派ピアニスト鈴木尚美の間に起こる冒険を描いた小説です。松崎は尚美の登場により、やむをえず初めて他人と交わることを試みます。音楽や物理学を通して尚美がリードし、松崎が不器用に付いてくる、松崎の生死を決める複雑なダンスが始まります。二人は重力井戸へと旋回しながら落ちていく惑星のように、想像さえしなかった関係へと着地していきます。

SNSやAIの発達で直接的なコミュニケーションの頻度は下がり、人と人との関係は年々表層的になりつつあると思います。

日本の電車に乗ると脱毛広告や二重瞼になれる手術の広告の多さに驚かされます。腕や頬に余計な毛が生えているかどうか、太ももの肉を減らした方がいいかどうかも大事ですが、ずっと一緒にいられる誰かに出会うなら、その人の心を覗いておく必要があると思います。表面の奥にあるものを注視すれば、自分にぴったりの心の持ち主が見つかるかもしれません。掘り出し物だらけかもしれません。尚美にとって松崎は、松崎にとって尚美は大当たりの掘り出し物なのか。それともはずれくじなのか。ぜひたしかめてみてください。

――この作品が生まれたのはどんなきっかけだったのでしょうか。

この小説を書くとき、最初に頭に浮んだのは松崎仁です。天才物理学者で、体に危険を宿している。発言も危ないから物理学会での評判も良くない。

季節外れの鳥打帽を被っているその想像の中の物理学者に私は初めから強い執着を感じていました。しかし彼の真髄を捕まえるのは困難で、しばらくおぼろげな輪郭のままでした。

松崎がリアルになったのは、鳥打帽をネットで検索し、ある広告写真を見つけた時でした。モデルは日本人の小太りの中年男性で、これぞ松崎と確信できる丸い顔と団子鼻に二重顎の持ち主でした。挑むような眼差しはどことなくユーモラスです。微かながらかわいらしい笑みを浮かべた唇をじっと見ているうちに、私はその男性に恋をしてしまいました。

プロフィール写真でよかった。モデルが半回転して目と目が合えば、物理学者じゃなくなったでしょう。モデル(このときすでに頭の中では松崎仁になっていた)は誰かを意味ありげに眺めています。論争の相手である鈴木尚美のはずです。

偶然見つけたこの写真がなければ、松崎を描くことはできなかったかもしれません。名前も知らないモデルの写真は今もPCの上に貼ってあり、目に入るとついほほ笑んでしまいます。

この記事を読んで、「それは僕だ!」と思う方はいらっしゃるでしょうか。心からありがとうございます。

――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、なにかエピソードがありましたらお聞かせください。

2023年夏のことでした。東京の喫茶店で私のエージェントであるボイルドエッグズの村上達朗氏と会った時、彼は『物理学者の心』の最初のドラフト(草稿)を気に入らないと、とても厳しい言葉をもらいました。

「松崎と尚美は日本人なのにアメリカ人のようなしゃべり方をしています。あえて日本人のキャラを書くなら、日本人らしい口調にしてください」「マーニーさんが《ミアータ》と言っている車は日本の会社の車で、日本では《マツダ・ロードスター》と言うんです。どうしてもっと調べなかったんですか」「物理学者が言うセリフ、何だったっけ、《この世で一番きらいなのは、人間がある一定したルールに従うように振る舞うのに、本当は別のルールで動いていることです》……これはどういう意味ですか? さっぱりわかりませんよ。悪いけど、僕はこの原稿を二、三章読んで、放り投げたくなりました」

恥ずかしい話ですが、私はその場で泣き出してしまいました。その夜、原稿の校正を手伝ってくれた大学教授の友人にメールして、「そんなことないよね? 村上さん、間違っているよね?」と、同情を買おうとして泣きつきましたが、返ってきたメールの内容は望んだものではありませんでした。

「うーん、どうかしら。会話は少しおかしいと私も思った。冗長な部分もけっこうあって……一年間ぐらい寝かして、他の原稿を書いていたら?」

松崎にぞっこんな私は「はっ!?」と声を荒らげてしまいました。

次の日の早朝から、画面を睨みながら猛烈な勢いで書き直しにかかりました。年末に直した原稿を村上氏に渡すと、すぐに「いい」と言ってくれました。そして、次の年、「これはユニークなラブストーリーです」というメールが届き、いつも機嫌のいいときにだけ付けてくれる「♪」を贈ってくれました。

彼が亡くなられた今、その「♪」はとても大切な宝になっています。

一番松崎に近いのは夫です。この本は彼への少し皮肉っぽいラブレターと言えるかもしれません

――今回の主人公である尚美と仁を描くときにこだわったポイントなどがあれば教えてください。また具体的にでもなんとなくでも、モデルとして想定している方はいらっしゃるのでしょうか。

松崎というキャラの半分は、いつになっても私を完全には受け入れてくれない日本と、コロナ禍の三年間、日本に行けず胸を痛めていた私の切ない気持ちでできています。そして残り半分は、物理学者への思慕です。

その物理学者を形成しているのは、三人の人物です。とある事情からコロラド大学物理学の修士課程を断念し、それでもずっと物理学の本を読んでいた私の父と、データーベース建築家で論理的なコミュニケーションばかり求めるエクセントリックな私の夫、食品化学者であり、クッキーやラーメンを作成する工場のプロセスについて延々と語る女友達がモデルです。

しかし、一番松崎に近いのは夫でしょう。この本は彼への少し皮肉っぽいラブレターと言えるかもしれません。彼を思いながら書いた原稿なので、彼に読んでほしくて、書く途中に出来た部分を英語に訳して渡しました。

「あなたのことを書いたラブストーリーなのよ。ぜひ、意見をちょうだい」

そう頼みましたが、夫は「読まない」と言って私を驚愕させました。

「あなたに頼まれて小説のヒントを与えたことは何回もあるけど、今のあなたは一人前の作家だから、自分のプロットは自分で考えなさい」

「そんな! 直せとは言っていないよ、愛を込めたプレゼントなのよ!」

そのときはカッとなってしまったけれど、夫は正しかったのでしょう。プレゼントというのは嘘ではないにせよ、松崎のセリフとして使えそうな言葉を夫から引っ張り出す下心もあったのを彼はすぐ見抜いたに違いありません。

それからも何回か頼みましたが、一度読まないと言った夫はずっと読まないままです。

だれかさんに似ています。

――本作は特にどのような方にオススメの作品でしょうか?

いつもと違う読書経験をもとめている方にお勧めしたいです。物理学の知識も、ピアノの知識もいりません。なにも知らないまま、気軽にページをめくってみてください。

――本作を含め、日本語による日本を舞台とした三作の小説を発表されていますが、マーニーさんが「母国語ではない」言葉でのご執筆を選択されたのはどのような理由だったのでしょうか。また日本語でのご執筆が創作に与える影響がありましたらお教えください。

大学一年生の時、当時はまだ彼氏だった私の夫は日本語のクラスを専攻しました。私は実用的なスペイン語をとるつもりでしたが、彼と一緒にいること目当てでちゃっかり日本語のクラスに登録しました。そんな邪なきっかけでしたが、勉強しはじめてすぐ、まずは文字に魅了されました。ひらがなの美しい曲線。漢字の部首と作りからなる複雑な意味、他国から取り入れたアルファベットのリズム。想像もしなかった優雅な言語に出会って、それ以来英語は無味乾燥な言語に感じられました。

当時の私にとって、日本語はだれもいない部屋に置かれた美しい弦楽器のようでした。楽器に歩み寄り、弦を撫でました。そして、下手ながら弾こうとしました。

大変なことになるなんてだれも注意してくれませんでした!

日本語を使って小説を書きたいと思ったのは、習い始めて十年経ったころ。ハードルはとても高かったです。日本語の難しさにも圧倒されましたが、日本語で書く自分の「声」を見つける方がより難しかったです。

日本人の友人は日本語で書こうとする私に戸惑いました。

「英語の方が上手でしょ? 英語で書いたら?」

何人もの人が、同じ意見を聞かせました。私の恩師である作家の城戸典子先生ももがく私を見かねて、「やはり英語で書かれては?」と優しく勧めました。その時、猿や虫やネズミが出没する先生の田舎の別荘にいたのですが、先生の発言を受けて打ちひしがれた私の前に、掌を広げたぐらいの大きさのアシダカグモが現れ、畳をつたって私へと這い寄ってきました。先生は平気なようで、飛びのいた私をよそにクモを指で摘まんで外へ放り出したましたが、私はその悪兆にショックを受け、日本語で書くのをやめようかと初めて思いました。

ところが、二週間後にもう一度京都駅で先生に会ったとき、先生は謝ってくれました。

「一生懸命頑張っているのに、本当に失礼なことを言ってしまいました」

先生はそして、同じように母国語ではない日本語で小説を書いている作家であるリービ英雄氏の小説を渡してくれたのです。

「てにをは」という言葉を初めて聞いてからは、画面に顔をぐっと近づけて自分の文章をより丹念に見るようになりました

――創作活動のうえで、ご自身にとっていちばん大切にしていることや拘っていることをお教えください。

大切にしているのは「初心」です。

当たり前のことに思えますが、外国語で物書きをする人は特にそうです。私は上達したと思えばまた壁にぶつかり、自分がどれほど低いレベルで物書きをしているか再確認させられます。いつもその繰り返しです。

数年前に村上達朗氏に「てにをは」という言葉を初めて聞いてからは、画面に顔をぐっと近づけて自分の文章をより丹念に見るようになりました。優れた編集者の方々の指導の下、貴重な知識をいただいて、少しずつ自分の物にしようとしました。「小説では《時》という言葉を《ひらく》ことがもある」と教わったので、今はときと打って変換キーを押す前に躊躇するようになっています。編集者が「聞く」「訊く」「聴く」を使い分けしていることにようやく気付き、オンラインのサイトで理由を調べました。

「てにをは」「ひらく」そして漢字の使い分けは、どれも英語にはない課題です。

常に学びがあり、だからこそ果てしないですが、途方に暮れるのではなく開拓者の心持ちで日本語を研鑽し、書き続けたいと思います。

――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

まだまだ書きたいものがいっぱいあります。次はノンフィクション? それとも『物理学者の心』続編? どうか次回作をお楽しみに!

Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?

長男のウィルが先週私をスキーに誘ってくれたのがとても嬉しかったです。五、六年前に私たちは仕事が終わるとよく近くのスキー場に行って一緒に滑っていました。しかし、長男はだんだん太って、ようやく「P=MV」という物理学の関係式という壁にぶつかりました。M(質量)が増え、運動量が増え過ぎたので、V(速度)を制御できなくなったんです。滑りながら自らを止められなくなりかけたことが二、三回あって、怯えた息子はスキーするのをやめてしまいました。私は好きなスポーツをできなくなった息子の健康が心配で、悲しかったです。

ところが、ウィルは最近「嫁を迎えることにした」と言って、体のリフォームを始めました。その結果、彼は体重を35キロ減らし、突然「母さん、スキーに行こう」と言ってスキーに誘ってくれました。健康も(嫁も!)息子の幸せに繋がるので、私も幸せな気分です。

Q:ご自身はどんな小説家だと思われますか?

リービ英雄氏はスタンフォード大学の発表で「日本語人」という言葉を紹介していました。言語に対する戸惑いは「アイデンティティだけの問題でも、文化的混乱の問題でもなく、どちらの言語を使って生きていくかという問題です」(私なりの翻訳です)と。

私は他の日本人作家よりずっとレベルが低いだろうと思いますが、選んだ以上はその生き方で生きていくしかありません。

私はその道を生きようとする作家です。


マーニーさん最新作『物理学者の心』

『物理学者の心』(マーニー) 祥伝社
 発売:2025年02月07日 価格:1,870円(税込)

著者プロフィール

マーニー

米・ミネソタ州生まれ。カールトン大学で日本語を学び、愛知県の南山大学に留学。その後ウィスコンシン大学で日本文学博士号を取得。2021年にマーニー・ジョレンビー名義で、すべて日本語で書き上げた小説『ばいばい、バッグレディ』でデビュー。2023年には2作目となる『こんばんは、太陽の塔』を発表。現在はミネソタ大学で日本語講師として教鞭をとりながら、小説の執筆を続けている。

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