『隠し女(め)小春』は、大手出版社で校閲の仕事をしている主人公が、「小春」と名付けた美しいラブドールを密かに家において暮らす物語。

 主人公の前に個性的な女性たちが現れ、状況が変わるにつれ、小春におどろくような変化が起こります。ラブドールの世界を窺い知れたり、西神田や横浜の黄金町などを舞台に、実在のカフェやバーなどが出てくるのも魅力です。

 著者の辻原登さんに、執筆のきっかけなどをお聞きしました。

胸苦しいばかりの他者とのつながりへの希求がもたらすもの

――『隠し女小春』について、これから読む方へ、内容をお教えいただけますでしょうか。

 私達は他者との関係の中で生きて、死んでいきます。でも、関係する相手の心は想像する他ないのです。その代表的なのが恋愛です。恋愛は互いの幻想によって成立し、肉体関係によってやっと落着するように見えますが、それで幻想が終わりというわけにはいきません。胸苦しいばかりの他者とのつながりへの希求がもたらすもの、それがテーマです。

――本作を描こうとされたきっかけを教えていただけますでしょうか。

 ハンガリーの人形製作者、名工の故ジェッペットの作とされる美しい人形に出会ったことがきっかけで、“小春”のイメージが生まれました。

現実はたった一つではなく、あなたの夢の中にもある

――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、執筆時のエピソードをお聞かせください。

 心を持たない、言葉を持たないラブドールが、故知れぬ愛の力によって突然心と言葉を持つという非現実的な出来事が、ファンタジーでなく、リアルな出来事だと読者が受け止めてくれるためにはどうしたら良いか。特にラストをどうするか、思い悩みました。あなたなら、どんなラストにしますか? いろいろなアイデアが浮かぶと思います。小説を読む楽しみの一つではないでしょうか。

――どのような方にオススメの作品でしょうか? また、本作の読みどころも教えてください。

 もしチャンスがあれば、登場人物たちの住まいや、お茶を飲んだり、食事をしたり、お酒を飲んだり、遠出をしたりする場所は全て現実に存在する場所や店ですので、例えば“小春”になったつもりで散策してみてはいかがでしょう。

 若い人達に読んでほしい。念ずれば何事も叶う。現実はたった一つではなく、あなたの夢の中にもある、ということ。しかし、それを実現するにはつらい経験が伴うということ。良い小説は、そのような経験を血を流すことなく味わせてくれます。たとえ最後が悲劇的でも、必ずカタルシス(浄化)が待っています。

大切にしているから必死で策を練っている

――小説を書くうえで、いちばん大切にされていることをお教えください。

 小説に描かれる世界や登場する人物を愛すること。たとえ悪人であろうと、悲惨な世界であろうと。

――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

 僕の小説はよく難しいと言われますが、難しいのではなく、読者を本気で誘惑しようとしているからです。あなた(読者)を簡単に誘惑に乗るような人ではない、と尊敬し、大切にしているから必死で策を練っているのです。

 不眠症の主人公は、ラブドールの小春にベッドの中で語りかけているうちに、眠ることができるようになります。小春が主人公にとって欠かせない存在になり、短い会話ができるようになるあたりで、あれ? と読者は思うと思います。たぶん夢の中のことなのだろう、と。しかし、そうではないというところに、おどろき、大変おもしろく読ませていただきました。

 物語が進むにつれて、ラブドールが話し、行動するという、非現実的なことが次々に起こります。ところが、睡眠とのつながりや、実在の場所が詳細に出てくることや、強烈な個性の人たちが出てくることなどによって、白昼夢のような世界をリアルな出来事として読ませてくれます。そのバランスが絶妙で、うっとりしてきます。

 現実か非現実か、それとも主人公の妄想なのか。一体、何が起こっているのか。読者によって読み方が変わります。小説の楽しさがたくさん詰まった、小説でしか表現できない作品だと思い、感動しました。おすすめです!!

Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?

 毎日必ずうれしいことがあります。数え切れません。

Q:ご自身は、どんな小説家だと思われますか?

 さて、どうでしょう? 考えたことがありません。

Q:おすすめの本を教えてください!

 おすすめはもちろん『隠し女小春』です。影響を受けた本は数え切れません。一人の作家で、その全作品を読んだのはシェイクスピアです。


辻原登さん最新作『隠し女小春』

『隠し女小春』(辻原登) 文藝春秋
 発売:2022年05月11日 価格:1,760円(税込)

著者プロフィール

辻原登(ツジハラノボル)

 1945年、和歌山県生れ。1985年「犬かけて」でデビュー。1990年「村の名前」で芥川賞、1999年『翔べ麒麟』で読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、2005年『枯葉の中の青い炎』で川端康成文学賞、2011年『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞、2012年『韃靼の馬』で司馬遼太郎賞、2013年『冬の旅』で伊藤整文学賞を受賞。著書多数。

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