シャーロック・ホームズにエルキュール・ポアロ、日本なら明智小五郎に金田一耕助。コナンくんやジェシカおばさんや湯川先生、忘れちゃいけない三毛猫のホームズも! 小説はもちろん、コミック、映画やドラマなど、数多くのミステリ作品からたくさんの「名探偵」が生まれてきました。

本職の探偵や警察官といった事件捜査のプロから、専門知識を活かした特定分野のスペシャリスト、洞察力の鋭い一市民とその立場はさまざまですが、彼らに共通するのは「存在する」こと。なんらかの事情で現場に赴くことのないアームチェア・ディテクティブであっても、推理者である探偵は「存在」します。

だとしたら、発売されたばかりの井上悠宇さんの最新作『不実在探偵の推理』は、そんなミステリの常識を覆す作品と言えるかもしれません。なにしろ本作の「名探偵」は、主人公である大学生・菊理現(くくり・うつつ)にだけ見える謎の美女なのです!

抜群の推理力で彼女が指し示す「正解」に、あとは現が、そして読者が水平思考を駆使して至るだけ。そんな、ミステリの新たな地平を開いた井上さんにお話を伺ってみました。

きっかけは、いつも最後まで生き残る名探偵が最初に死んだら面白いんじゃないか? と考えたことでした

――今回の『不実在探偵の推理』について、これから読む方へ、どのような物語かをお教えいただけますでしょうか。

『不実在探偵の推理』はずばり、水平思考を用いた今までにない切り口の推理小説です。

本作の特徴としては“事件の謎はすでに名探偵によって解かれた”のを前提として、そこから推理が始まること。どうしてかというと、この名探偵は姿がない“不実在”な存在であるため、会話が出来ず、自ら推理を披露することが出来ないからです。

そのため、登場人物たちが名探偵の“名推理”を、あれこれ質問をぶつけ、名探偵からダイスの目で返答を得る形で推理し、真相を明らかにする必要があります。そのアプローチが既存のミステリとは全く違うので、読んでもらえれば、これは今までになかった! と感じてもらえるのではないかと思います。

また、登場人物たちと同じように読者も推理に加われて楽しめるので、自分の推理が合ってたのなら、あなたは(いやあなたこそが)名探偵なのだ! という気持ち良さが味わえる作りになっています。編集が本作を「新感覚ミステリー」と評してくれましたが、まさにその言葉にふさわしいんじゃないでしょうか。

……ちょっと自画自賛しましたが問題ありませんよね? ね。

――この作品が生まれたきっかけを教えていただけますでしょうか。

きっかけは、いつも最後まで生き残る名探偵が最初に死んだら面白いんじゃないか? と考えたことでした。

事件の謎はすでに解けているのに、よりにもよって最初に名探偵が死んでしまったのでその推理が誰にも伝えられない。では、どうやって死んだ名探偵の推理を生きている登場人物たちに伝えるか。簡単に意思疎通が出来たら面白くないので、どうにか制限をかけたい。

そのとき、たまたま、ボードゲームの『ブラックストーリーズ』に出会って、水平思考ゲームの楽しさを知りました。水平思考ゲームと言えば『ウミガメのスープ』をご存知の方がいらっしゃるかもしれません。答えを知っているものが、プレイヤーたちの質問に「ハイ」や「イイエ」で返答し、真実を明らかにするという、その水平思考の手法が使えるんじゃないかと。

そのようにして名探偵✕水平思考を組み合わせることで『不実在探偵の推理』の原形ができました。とんでもない閃きだったと思います。とんでもなさすぎて、自分の手に負えないと絶望するのは、しばらく経ってからのことでした。

「どうして水平思考探偵なんて、あのとき編集に口を滑らせてしまったんだろう」と後悔するのが日常でした

――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、なにかエピソードがありましたらお聞かせください。

一番苦労したのは、謎解きのフェアさ、証拠のバランス調整です。

水平思考ゲームは、たとえば「ウミガメのスープを飲んだ男が自殺したのはなぜか?」といった簡単な質問から、あれこれプレイヤーが推理をぶつけることで、真相にたどりつくのですが、これをそのままミステリに落とし込むわけにはいきませんでした。答える名探偵役が事件の謎を聞いただけで真実に思い至ってしまっては、さすがに全知全能の神様過ぎてあまりに現実的ではないこと、そして、手当たり次第に質問をぶつける形だと、膨大な量のセリフの掛け合いになってしまうという問題があったからです。

それを解決するには、事件において、きちんと推理可能な証拠を名探偵にも読者にも用意してから、筋道立てて謎が解かれるプロセスを最低限度で見せることが必要でした。

ただし、水平思考ゲームには、真相をパッと思いついたら、その真偽を確かめるだけで謎が解ける、という性質があります。なので、簡単に真相に至らない程度の証拠の量で、しかしながら、推理可能な質の証拠にする、といった、謎解きのフェアさ、バランスをとることが非常に重要で、そこにめちゃくちゃてこずりました。名探偵✕水平思考は過去に誰かが考えたとしても誰も書かなかったのは、きっとそのせいだったんでしょうね。

執筆には一年以上かかってますが、お風呂で湯船につかって膝を抱えながら「どうして水平思考探偵なんて、あのとき編集に口を滑らせてしまったんだろう」と、泡をぶくぶくやって後悔するのが日常でした。

――本作は、特にどのような方にオススメの作品でしょうか? 読みどころなども含めて教えてください。

新しいアプローチのミステリが読みたい、または、自分も謎を解いている感覚を味わいたい、という方にはとくにオススメです。

証拠が出そろった時点で“不実在探偵の推理”を推理するフェイズに入るので、自分ならどう推理をしてどのような質問をするのかを考えて頂くのも楽しいと思います。

また本筋では“不実在探偵は何者なのか”というテーマもあり、世にも不思議な、姿なき名探偵を想像して楽しんで頂きたいです。

たくさんの本と出会って、自分にとっての一番の物語を見つけて欲しいなと思っています

――小説を書くうえで、いちばん大切にされていることをお教えください。

やはり、読みやすさでしょうか。色んな年齢の方に広く読書を楽しんで欲しいと思っているので、読んで苦にならず、言葉の意味が伝わりやすくてイメージが膨らむ文章を書くことを心掛けています。

また、ミステリは読者を騙すものではなく、謎解きを楽しんでもらうことが大事だと考えているので、自己満足な作品ではなく、読者が楽しめるものになるようにいつも心掛けています。

――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

良い小説との出逢いは、その人の人生をより良く変えうる、と思っているので、たくさんの本と出会って、自分にとっての一番の物語を見つけて欲しいなと思っています。

表現力のプロフェッショナルが10万字の物語であなたの魂にゆさぶりをかけてくる、それが読書です。試しに、僕の『誰も死なないミステリーを君に』なんていうエモい青春ミステリなんて読んでみてはどうでしょうか。あなたの人生、素敵に変わるわよ。

Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?

出版祝いに編集者にお肉を食べさせてもらったことです。自分、こんな高そうなお肉を食べさせてもらえるような人間になれたんだなぁと思いました。これが、作家。そして、やはり、肉。肉はすべてを解決する。

Q:ご自身は、どんな小説家だと思われますか?

会った人たちには大体、外見を含めて本を読んでイメージした通りの人でしたと言われます。

自分がどんな人間か、あるいは、小説家なのかは、自分の著作物が完全に雄弁に語っていると思うので、あれこれ言うよりも、どれでもいいので一冊読んでもらった方が伝わるんじゃないかと思います。

理想としては、ずっと読者のために物語を書き続ける小説家でありたいですね。

Q:おすすめの本を教えてください!

■『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(新潮社)

中学生くらいのときに読んで、村上さんの美しい筆致とその不思議で孤高な物語世界に魅了されました。

■『暗黒童話』乙一(集英社)

記憶を失ったことで、まるで同じ自分とは思えない過去の自分との差異に苦しむ主人公が巻き込まれる猟奇的な事件はハラハラドキドキで、本当の自分とは何かを問う素晴らしいミステリです。

■『閻魔堂沙羅の推理奇譚』木元哉多(講談社)

殺された人間の前に閻魔大王の娘が現れ、自分を殺した犯人を推理できたら生き返らせてくれるゲームを仕掛けてくるという、発想がとても斬新なミステリで好きです。


井上悠宇さん最新作『不実在探偵の推理』

『不実在探偵の推理』(井上悠宇) 講談社
 発売:2023年06月28日 価格:1,760円(税込)

著者プロフィール

井上悠宇(イノウエ・ユウ)

2011年「思春期サイコパス」で「第16回スニーカー大賞」優秀賞を受賞し、翌年『煌帝のバトルスローネ!』でデビュー。著書に「城下町は今日も魔法事件であふれている」シリーズ、『きみの分解パラドックス』『さよならのための七日間』『やさしい魔女の救いかた』『僕の目に映るきみと謎は』「誰も死なないミステリーを君に」シリーズがある。

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