他人の心が読める、人の気持がわかる特殊能力。それこそが周囲の人間との間に隔たりを生んでしまう――それは青春ファンタジー小説において、ひとつの定番とも言えるテーマです。

たとえばテレパシーのように言葉として直接届いたり、色や匂い、音色となって伝わってくる他人の思い。今回ご紹介する、文月蒼さんの発売されたばかりのデビュー作『水槽世界』では、それが「人の心に棲む魚」として視えるのです。

主人公の海人は、その魚を通して相手の素顔を知り気持ちを読み取ってしまうことで、かえって周囲の人間との関係をうまく作れずにいる高校生です。それでも、ひょんなことからクラスメイトの澄歌と交流が生まれ、だんだん彼女に惹かれていく海人。そんなとき、人々の心に棲む魚たちを食い荒らす「巨大な鯨」が出現。澄歌の心に棲む魚を鯨から守りたいと思った矢先に、海人は能力を失ってしまい――。

魚をモチーフに静謐なイメージを作り上げ、神秘的なまでのファンタジー世界を描き出した文月さんにお話を伺ってみました。

深夜の長距離バスの中、バスの窓から真っ暗な外を眺めながら思い浮かんだ「水槽世界」という世界

――今回の『水槽世界』について、これから読む方へ、どのような作品かをお教えいただけますでしょうか。

この作品は人の心に棲みつく魚が見えるという能力を持った橘海人が、突如現れた巨大な鯨から、たくさんの魚を棲まわせている桜庭澄歌の魚を必死に守ろうとする物語です。橘は人間関係に苦手意識があり、なかなか自分を表現できずにいますが、鯨の暴走を止めるために多くの人と協力し、少しずつ成長していきます。様々な壁を仲間と乗り越え、桜庭への気持ちも濁りのない言葉で伝えようとする青春ストーリーです。

――この作品が生まれたのはどんなきっかけだったのでしょうか。

思いついたのは深夜の長距離バスの中でした。停車したバスの窓からは真っ暗な外が見えていて、悪い人がいたら夜は怖いなと思いました。その時に、一目で人の善悪の見分けがついたら良いのにと思い、水槽世界の設定を考えつきました。

みなさんも自分の心の中に棲む魚を思い描いて、自由に泳ぎ回らせながら読んでほしい

――ご執筆にあたって、苦労されたことや、当初の構想から変わった部分など、なにかエピソードがありましたらお聞かせください。

「東京中野物語文学賞2022」に応募した作品なのですが、かなり改稿をしています。新たに加筆したエピソードも多数ありますし、当初よりラブストーリーの要素が強くなっています。自分の中で表現したいファンタジーな水槽世界と、高校生2人の恋愛を一緒に描くという部分は苦労しましたが、純粋な2人がいることでより綺麗な場面を描くこともできたなと思います。

――本作は、特にどのような方にオススメの作品でしょうか? 読みどころなども含めて教えてください。

特に、普通じゃないかもと不安を抱えていたり、自分をなかなか出せずにいる方におすすめしたいです。

テーマの1つに他者との違い、多様性があります。人とは違う部分、変わったところ、見た目……自分を表現するための1歩を踏み出す勇気になれたらと思っています。

また、水槽世界は色々な魚が登場します。人によって数も違います。ぜひ、自分に棲みついている魚の数や種類を想像しながら読んでみてほしいです。魚は自由に泳ぎ回るので、シーンごとにみなさんの脳内で自由に泳がせてもらえると嬉しいです。

何かできることがある、これから探そうと思える。自分に希望を持てるような作品が書きたい

――小説を書くうえで、ご自身にとっていちばん大切にしていることや拘っていることをお教えください。

拘っているというほどではないのですが、個性を大切にするということです。特技がなくても、秀でる才能がなくても、平凡に見えて誰でも何かしらの個性が必ずあると思います。探すのをやめずに、見つけたものが微妙でも潰さずに、受け入れて活かす方法を考える。自分には何ができるかを考えた時に、何かできることがある、これから探そうと思える。自分に希望を持てるような作品が書きたいと思っています。

――最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。

『水槽世界』はファンタジー要素が強いのですが、主人公の成長や心の変化は繊細で少しずつ……です。理想や目標へ一足飛びには辿り着けませんが、遠回りや疑心暗鬼なども経験しながら、1歩ずつ自分が望む未来に近づいていくのを応援している作品でもあるので、読者の皆様の背中を優しく押せたらとても嬉しいです。

Q:最近、嬉しかったこと、と言えばなんでしょうか?

紅茶が好きで毎日飲んでいるのですが、美味しい紅茶とティーカップやティーポットをいただいたのが嬉しかったです。気に入ると決まった茶葉でばかり飲んでしまいます。なので、いただきものの紅茶は新鮮でワクワクしながら開封できるので、飲んで美味しいだけではなく心の栄養にしています。

Q:これからどんな小説家になりたいとお考えですか?

ストーリーはファンタジーが浮かぶことが多いので、いつかちょっぴりシリアスなものやザ・ラブストーリー! みたいな作品も書いてみたいなと思っています。どのような作品を書く上でも、自分というものは存在しているだけで花丸だと気がついてもらえるような物語が書ける小説家になりたいです。

Q:おすすめの本を教えてください!

■『アリス殺し』小林泰三(東京創元社)

読書が苦手だった自分が、とっても面白かったと思った作品です。特殊な設定のミステリーで、『不思議の国のアリス』をよく知らなくても十分楽しめました。グロい描写もありますが、台詞が多めでその世界観にすぐ引き込まれるような作品です。

■『正欲』朝井リョウ(新潮社)

映画を先に観て、小説の方を読みました。普通の人には理解できない、もしかしたら「気持ち悪い」と拒絶されてしまうかもしれない、だけど自分の中に存在する特性。普通の思考範囲を軽々と超える衝撃的な思想の数々。読んだ後は確かに読む前の自分には戻れなくなった作品です。

■『私のことが好きじゃないとかセンスないよね』あたりめ(KADOKAWA)

この作品は、目の前で女友達から話を聞いているような感覚になります。自分にも喝が何回も入れられるのですが、それ以上にパワーのある暴論が混ざった言葉で読者の心を守ってくれます。もっと自分を大切にしよう、大切なものの優先順位を決めてそれに従って素直に生きようと思える作品です。


文月蒼さんデビュー作『水槽世界』

『水槽世界』(文月蒼) 飛鳥新社
 発売:2024年04月23日 価格:1,400円(税込)

著者プロフィール

文月蒼(フミヅキ・アオイ)

1995 年、北海道生まれ。「東京中野物語2022文学賞」最終選考作品にノミネートされた本書でデビュー。

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