このコラムは鹿児島県在住でフリーライターとして活動する鶴田有紀さんがこれまでに出会った「本」や、「読書」にまつわる記憶を綴ったエッセイから抜粋・再構成してお贈りする短期集中連載です。(10月〜12月の第2・第4火曜日に掲載予定)
【コンプレックスを抱えて生きる女性の心を、温かなひと皿がときほぐす】
漫画や小説において外見にコンプレックスをもつ主人公は、比較的見かける設定ではないだろうか。そして、ストーリーもまったく同じではないが、定番の流れが存在するように感じる。
古矢永塔子氏の『初恋食堂』(小学館文庫)も、読み始めた時はそのような流れで進むのではないかと思った。しかし、その予想は物語の序盤に覆される。もちろん、良い意味でだ。予想外の展開に、思わず「そっちなの!?」と声も出てしまった。
本書は、第1回「日本おいしい小説大賞」受賞作として2020年に刊行された『七度笑えば、恋の味』を、改題の上文庫化した作品である。自分の顔に強いコンプレックスを抱く日向桐子(ひゅうが きりこ)が、勤め先の「みぎわ荘」に暮らす匙田譲治(さじたじょうじ)たちと関わるにつれ、生きづらさから解放されてゆく様子が描かれている。
単身高齢者向けマンション「みぎわ荘」で働く桐子は、普段から素顔を隠し、ほかの従業員とも一定の距離を保っていた。自身の秘密に踏み込んでくる人がいない今の職場は、居心地の良い場所になりつつあった。しかし、ある人物の登場により穏やかな日々は揺らぎはじめ、やがて桐子の心は限界をむかえる。
そんな桐子の心を救ったのが、匙田だ。江戸弁を話し、ぶっきらぼうだが面倒見の良い性格。自身のことをあまり語りたがらず、少し謎めいたところもある。作中で彼の言動や行動に触れていくにつれ、匙田を魅力的だと感じる人も少なくはないだろう。私も、そのうちの一人である。
その匙田が馴染みの店である「居酒屋やぶへび」で、桐子のために「鮭と酒粕のミルクスープ」を作る。辛いことや悲しいことがあった時、誰かの作った料理はお腹を満たすだけでなく、心まで温めてくれる。肩の力が抜け、頑なだった心や思考もほどいてくれるだろう。桐子も、匙田の料理を口にしてそのような感覚を抱いた。
鮭と酒粕のミルクスープ以外にも、本書にはさまざまな料理が登場する。桐子が前に進もうとするなかで、躓いたり誰かと衝突したりと壁に直面するたびに、温かな料理が背中を押してくれるのだ。
そして、誰かの作った料理に背中を押されるのは桐子だけではない。本書に登場する人々も、それぞれに悩みや過去を抱えて生きている。彼らが悩みながらも問題と向き合おうとする時、そこには必ず、誰かが作った温かいひと皿がある。そのひと皿が、気持ちを奮い立たせてくれたり本音を引き出したりと、そっと手助けをしてくれるのだ。登場する多彩な料理と併せて、自身の問題と向き合い変わろうとする彼らにも注目しながら読み進めてほしい。
私たちは、命をつなぐために食事をする。しかし食事には、生命を維持する以外にも不思議な力がある。あの日、匙田が作ったミルクスープが、冷えきった桐子の心をじんわりと温めてくれたように。数々の料理と描写のおかげで、読み進めるにつれ空腹が増していく『初恋食堂』だが、不思議と心は満たされ、変わってゆく桐子たちの姿に勇気をもらえる一冊だ。読了後はあなたも、「あの時食べた、温かなひと皿」を思い出すかもしれない。
初出:鶴田有紀note「コンプレックスを抱えて生きる女性の心を、温かなひと皿がときほぐす。古矢永塔子 著『初恋食堂』」(2024年3月23日)より
鶴田有紀プロフィール
つるだ・ゆき/1990年生まれ。鹿児島県出身・在住。販売職や事務職を経て、2020年5月1日からフリーライターとして独立。主にコラムやインタビュー、書評、エッセイを執筆する。小学館「Steenz」や朝日新聞デジタル「SDGsACTION!」をはじめ、多数媒体での執筆経験有り「読書の秋ということもあり、普段以上に読書欲が高まっています。吉田篤弘氏の『京都で考えた』と『おるもすと』が面白かったです」
(次回は11月26日に更新予定です)